ミャンマーのジャンヌダルク「アウンサン・スーチーさん」まとめ

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   ※写真はイメージです。今回の記事とは何も関連がありません。

 

葉きつねです、コンチワー!

仕事でミャンマーに関わった事から少し本を読んだりして、
だいぶミャンマーが好きになってきました☆

そんな中で今日はアウンサン・スーチーさんについて自分のメモとして
まとめようと思います。

  ※ライターの主観によるものが強いので記事を鵜呑みにしないよう御願いします。

 

最終的には世の為、人の為!

彼女について書く前に、最近葉きつねが思っている事を話します。
この想いがあるから彼女の生き様を知って毎日を頑張ろう!と思えたのだと思うので。

 

まだ人生を走りきってないので、生き方なんて語れるような人間ではないけれど、、
人は自分の生活にある程度の満足を得た先には「この為に生まれてきたんだ
と言った自己実現を求めるんだと思います。

モチロン自分の生活もままならない状況にあるならば、
他人の事なんて考えている余裕もないと思いますが、
日本人は安全・安定した暮らしが少なくともミャンマーの国民よりはあると思う。

マズローの欲求5段階説の3・4段階目にも「社会的欲求・承認欲求」として
家族に、友人に、会社に、社会に認めて敬われたいとする欲求が
人間にはあると言っていますよね。

僕の周りの人にもこれが満たされないから、孤独感や社会的不安を抱いて
残念ながら鬱になってしまった人が何人もいます。。

 

最近では人間関係ですり減ってまで働く必要はないよ
といった記事をよく見かけるし、そのとおりだ!とは思うけど、
もっと楽をして生きよう!って方向に行っちゃう人、大丈夫かな・・と思っちゃう。。

 

世の中に貢献して自己実現するには沢山の人たちと協力しないと
成し得ない事ばかりだと思うから。

 

皆と頑張って!協力しあって!助け合って!・・・

手と手を取り合って世の中をより良いものにする!

そんな生き方がしたいなぁって思う。

 

サラリーマンは人間関係ほんと大変だけど、仕事仲間の一人一人も人間だから、、

良いところも悪いところも知り合って、互いにサポートして埋め合って、

力合わせて世の中に素晴らしいサービスを生み出せたら・・・

涙が溢れるほど幸福で満たされる事だと想う。

 

能力が低い!とかアイツはダメだな!とか、もう聞くのはうんざり。。

他人を批判して自己実現するのは心の穴埋めでしかないと思うからやめようよ。

パートナー会社を使える使えないって言っちゃダメでしょ。

自分達の仲間として、この会社と助け合って目標を達成しよう!って

互いに協力しあわないと。。

 

・・・、はい、自分に言い聞かせています。。こんな考えであり続けたいぃ~~~!!

長くなり過ぎましたが、本題「アウンサン・スーチーさんの生き様」は次です↓

 

軍政によって夫の死に目に会えなかったスーチーさん

今やミャンマーの顔となった「アウンサン・スーチーさん」

最近ではロヒンギャ大規模難民問題でニュースを見ると消極的な姿勢として
叩かれているが彼女の人生は物凄いものだったみたい。

 

1945年 アウンサン将軍の娘として生まれる

      ビルマ独立運動を主導し達成の目前1948年に暗殺されてしまった
      ビルマ建国の父と呼ばれている国の英雄の娘

1960年 母の仕事の都合で共にインドへ渡りデリー大学へ進学

1964年 イギリスのオックスフォード大学で政治学を学ぶ

1969年 ニューヨークの国際連合事務局行政財政委員会で書記官補を務める

1972年 イギリス人と結婚し2人の子供を産んだ

1986年 日本語を勉強し大日本帝国軍関係者への聞き取り調査や、
      外務省外交史料館、旧防衛庁戦史部、国会図書館などでの資料調査を
      行い、父アウンサン将軍についての歴史研究を進める

1988年 母の危篤を受けてミャンマーへ帰国
      この頃、デモ中の学生が虐殺された事件で8888民主化運動が過熱。
      学生・市民による大規模デモ活動が始まり、そこに参入した
      スーチーさんはヤンゴンの一番大きなシェダゴンパゴダで50万人の前で
      演説をし民主化のリーダーになった。
      その後、民主化運動は軍事政権により弾圧され数千人の犠牲者を出した。
      スーチーさんは選挙に備え国民民主連盟NLD党に加盟し書記長に就任

1989年 自宅軟禁。国外退去を条件に自由を認めると交渉を持ちかけられるが
      スーチーさんは拒否。ここから幾度となく14年にも及ぶ軟禁が行われる

1999年 夫が病死。

      軟禁中のスーチーさんは出国してしまったら
      戻って来れない為死に目に会う事も出来なかったと言われている。

 

そもそも英雄の娘として見られて大変だっただろう、

民主化リーダーは生まれ持った素質もあったのかな。。

でも軍事政権はそんな彼女を自宅軟禁し、弾圧を続けたらしい・・・。

 

民主化の流れにテインセインあり!

2010年になると軍籍を離脱したテインセインが国家元首に就任する。
彼は軍に所属していた身にも関わらず民主化を強く推進。
更には国際連盟も驚く政治を実行していったらしい。

例えば「エヤワディ川のダム建設の中止」
これは中国という大国と進めた計画で、国民はミャンマーイチの大河をせき止めてしまうことに環境問題を訴えて猛反発をしていたがとても中止出来なかった計画のはずだった。でもテインセインはアッサリと中止したそうだ。

その他にも「反政府カレン独軍との停戦合意」、「メディアの事前検問制度の廃止」等
大きく国を動かした。

スーチーさんと対話して向き合い、政治活動の自由化・海外外交活動の自由化も彼が行った改革の一つ。

2015年の選挙ではスーチーさんはこの政治手腕のあるテインセインと争う事になった。

いづれにしても民主化の流れは当時軍に所属していたトップも改革を推し進め、
これまでの評議会議長などによる独裁政治から変わろうとしていた。

 

まとめ

今ではロヒンギャ問題で動きの鈍さを見せており色々言われているが、
世界中で政治学・経済学を勉強をして、
更に自分の父についても自分の目で確かめてきた。
そして民主化リーダーになり、夫の死に目にも会えずに奮闘する生き様はカッコイイ!

 

きっと調べただけでは分からない苦労が沢山あったと思うけど、
こんな生き様を見せられたら日々つまらない弱音吐いてられないなーと、
恥ずかしくなりました・・・。

 

頑張らなきゃね!楽しみながら☆

 

それではまた!
コンコーン!(訳:ばいばーい)

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