ミャンマーはヤンゴンを知る!「ミャンマーに広まる上座部仏教は日本人が忘れてしまった心を思い出させてくれる」

ミャンマーの旧首都ヤンゴンにあるシェダゴンパゴダ。

今2018年2月現在も
ミャンマーで最も栄えている都会ヤンゴンにそびえ立つ寺院。

今日は仕事の関係で足を踏み入れている最後の秘境「ミャンマー」
に関してのお勉強会を開きま~す♪

 

目次

 

シェダゴンパゴダはいつ建てられた?

この寺院は2500年も前に建てられており、
伝説によれば、モン族の商人タプッサとパリカの兄弟がインドを訪れ、
釈迦(仏陀)から8本の聖髪をもらい受けた。
兄弟の帰国後、聖髪を献上されたモン族の王オッカラパは
これを祀るために小さなパゴダを建てた、らしー。。
(1880年、ここで発見された1485年の碑文による。)

 

なかなかに古い歴史を持つこの寺院は仏塔のてっぺんに宝石が祀られているらしく、
ガイドさんに言われた位置に立つと晴れていれば太陽の光でキラリと光る☆
(僕も見たが本当にキラーンって光る!!)

 

こりゃルパン4世としては腕が鳴るぜぇ~~!!
最新の技術ドローンとか操作して盗れないかなぁ~。
まずはドローンで爆弾を仏塔の宝石の下4mに設置→ドローンと宝石を紐で括り付ける→爆弾を起爆!→仏塔の先が折れる→宝石部分だけドローンの紐にくっついてくる→重みでドローン落ちる→宝石どこかに転がる→ドローン10万円を失い、窃盗罪で捕まる→国宝が紛失した罪は大きく、死刑宣告→ミャンマー人見守る中で十字架にかけられて火あぶりの刑→僕、焼け跡から蘇る→釈迦の再来としてミャンマーに迎えられる☆・・・

う~ん、ファンタジー!!って、そんな訳ないか。。。

 

ミャンマー人の宗教について

ミャンマー人のほとんどは仏教徒。
あちらこちらでパゴダが黄金色で光り輝いており国民は皆パゴダに通って
祈りを捧げている。

仏教と一口に言っても沢山枝分かれしていて、日本に広まる大乗仏教とは少し異なるみたい。
「上座部仏教」というタイ・ラオス・スリランカ・カンボジア・ミャンマー等に広がる部派仏教(他に初期仏教・大乗仏教がある)の末裔と言われている仏教らしい。

釈迦の教えを語り継ぐ人たちによって解釈が異なり枝分かれしていくみたい。

大乗仏教は大衆にお釈迦様の教えを広め、覚りの道を歩ませることを重視するのに対して上座部仏教は出家者が自ら覚ることを重視しているそう。

信仰対象も異なるみたい。
大乗仏教は大衆を救うブッダ(真理を体得・知恵と慈悲の体現者)を目指すのに対して、上座部仏教は釈迦如来(ブッダの仏になった姿)のみ

 

上座部仏教の特徴

1.現世に執着しない

  来世を重視するため何事にも執着しません。
  この世で徳を積めば来世が開けると信じています。

 

2.利益よりも「また人間に生まれ変わりたい」

  利益を得て裕福な暮らしをするより徳を積んで来世にまた人間で
  生まれ変わる事を望んでいるので、利益を出した成功者も
  ポンっと簡単に大金を寄付してパゴダを建てたりします。

 

3.親を敬い、「子が親のために命を投げ出すのが当たり前」

   一番衝撃的だったのがこれです。。
  日本では真逆だからとても信じがたい事だけど、、
  確かに売られてしまう子がいるのも事実。
  だから家族のために若い娘が犠牲になっていたりするんですね。。

 

【まとめ】日本は四苦八苦に苦しめられている気がする

自分の価値観、他人の評価など
形の無い物に囚われてストレスを溜めている人が日本では本当に多いけど、
「今のままでいいんだよ」ってのは大乗仏教でも言われている。
物の見方一つで大きく変わる価値観や評価に心を押しつぶされちゃっている人、
日本人が高度経済成長の中で利益に溺れて忘れてしまっている
「生き物(他人を含む)を大切にする心」などがミャンマー人には溢れていると
現地で強く感じました。

痴呆症になってしまう人も少なく、貧しいながらも楽しく生きていける国。

現地で働いていると、日本の仕事の仕方を教える機会があるのですが
「それでいいのか?正しい事なのか?」と日本人である僕自身も
教えるのを躊躇ってしまいます。。

働き方改革が叫ばれている中、世界での働き方も見直そうと思う僕でした。

 

はい、おわりぃ!

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